本日のブログを担当させて頂きます榊原です。
最近よく感じるのは、「相手は自分の鏡」だなということです。
- 相手が笑顔の時は、自分も笑顔
- 相手が気まずい顔の時は、自分も気まずい顔
- 相手がなにかしてくれる関係は、自分も何かをその相手に対してしている
などなど
上記のように今の自分が第3者から見てどういう人なのかは、相手の対応を見ればわかることが多いのではないかと思います。
最近、周りの人ともっと深い話したいなと思うことがあります。
でも受け身になってました。周りの人から話してくれないかなぁ的な。
よくよく考えたら自分から周りの人に対して、深い話(パーソナルに触れるような話)してる??
いや、できてない。しかも昔から…限られた人にしか話してない。
家族にですら言いたくないことを自分から話すことをしていない。
もし、自分のことをもっと相手に伝えることができたら…
思い立ったので、少し自分の今までについて書きます。
茨城県出身、現在29歳。
父は医者、母はピアニストの家庭に生まれる。
小学校4年生からサッカーを始める。
小学校5年生で地区選抜に選ばれてからサッカーにどっぷりハマりだす。
中学校に入りさらにサッカーにどっぷり浸かり朝から晩までサッカー漬けで、結果的に県選抜に選ばれる。この時明確にプロサッカー選手を目指し始めた。
高校を選ぶときにクラブユースか公立高校かを選ぶ際に非常に悩んだ。最終的に親の意向という看板をぶら下げて、公立高校受験することとした。この時も今考えれば親は何で俺の気持ちわかってくれないんだとか思っていたが、自分の思いをはっきり言葉にして親に伝えることはできていなかった。
そして公立高校を受験したが失敗し、私立の常総学院に入学することとなった。しかし朝練→学校(うたた寝)→部活→夜練→夜中まで勉強という今思えば明らかに非効率な生活を送ったことで伸び悩み、高校3年生の時にはギリギリレギュラーで出れているくらいになってしまった。この時サッカーを初めて辛いと感じた。このことも誰にも伝えなかった。
大学受験ではプロになりたいという気持ちが強く筑波大学を受けたが失敗。そこでプロになりたいという気持ちに蓋をして、医者を志し2浪したが、結局岡山大学工学部に入った。
その後株式会社SUBARU に入社し、社会人サッカーチームeneed(現City Football Club)に所属した際に、合同練習でFTAと出会う。
海外プロを目指すFTAと共に活動を重ねる中で、蓋をしたはずの夢が再燃。目指したいという思いと、目指してはいけないという思いに揺れはしたが、この時初めて自分の思いを家族に聞いてもらい、納得してもらうことができ、脱サラして海外プロを目指すに至った。
今まで、失敗や世間の価値観から外れることを繰り返してきたことを恥ずかしいと思ってなかなか人に伝えてこなかった。つまり無かったことにしようと無意識に考えていたんだと思う。
ただ、うまくいかなかったことを無かったことにしようなんて勿体ない。むしろこの経験があったからこそ得られたこと、成長できたことがある。この経験を出来る環境を与えてくれた家族への感謝、この経験をする際にお世話になった人への感謝。今このブログを書きながら、切に感じる。
今回自分の過去を言葉にしてまとめることで、自分自身過去を本当の意味で受け入れることができ、お世話になった人への感謝の気持ちを持つことができた。
話は脱線しましたが、今回ブログを通して僕はこんな人だということを発信しました。この発信がどう繋がるかはわからないですが、今までの自分ができないことができたのかなと思います。
今まで自分ができなかったことにトライし続けていくことで、相手のリアクションは必ず変わっていくと考えています。
文章ベタで申し訳ありませんが、読んでいただきありがとうございました。
榊原 俊
1989.7.4
ポジション サイドバック ボランチ サイドハーフ
前所属 株式会社SUBARU